旧国鉄客車のうち工事車は,橋梁架設やロングレール輸送の工事列車に連結して,作業員の休息や宿泊のための施設となる事業車であった.
オヤ62形工事車は1974(昭和49)年に登場した形式で,2両(オヤ62 1,2)が鋼体化客車オハニ61形から改造され,向日町レールセンター用として向日町運転所に配置された.その後,1984(昭和59)年 4月に代替として,スハフ42形 2両が幡生工場で改造されたが,新形式とはならず,同形10番代のオヤ62 11,オヤ62 12として登場した.車体塗装は,11がぶどう色 2号,12が青15号であった.車内には寝台(下段のみ),シャワー室,厨房を備えた休息室があり,空調機が設置されていた.それらの電源は,車両後位の機器室にあるディーゼル発電機から給電されていた.名古屋地区の東海道線などでもその姿を見ることができたが,国鉄民営化に伴う業務形態の変化により余剰となり,わずか 3年後の1987(昭和62)年 3月に 2両とも廃車となった.後に売却されて,カラオケハウスの施設として利用されている.
オヤ62 11は,1954(昭和29)年,スハフ42 278として日車で製造された.1979(昭和54)年,山陰線下関地区の行商用だったオハ41形の代替のため,全室ロングシートに改造されてオハフ41 203となり,50系客車と併結して使用された.売却後に前位側デッキの外側に展望室を増設して,車内は食堂となったが,現在は使用されていない.状態は良好であるが,他の車両に囲まれたため,写真撮影は困難である.
(2000. 2.13調査)
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