飯田線の前身の一つである豊川鉄道は,1925(大正14)年 7月,電化用として15m級 3扉の木造車モハ 1形(1〜5)を日車で製造した.同鉄道は鳳来寺,田口両鉄道と直通・共通運用を行っていたため,1938(昭和13)年,鳳来寺の同形車と共通のモハ10形(11〜15)に改番され,1943(昭和18)年 7月の国有化後も同じ形式番号で使用された.
モハ14はモハ15とともに,1951(昭和26)年 4月,田口鉄道に譲渡され,翌年 5月の国鉄委託から自主運行への復帰,1956(昭和31)年10月の豊鉄への合併を経て,1968(昭和43)年 8月限りの田口線廃止まで使用された.その間,車体を鋼板で補強し,車体の塗り分けはブルーとクリームからマルーンとクリームへ変遷した.田峯駅跡に保存されていたが,1978(昭和53)年に当地へ移された.ライトブラウンに塗られ,車内には田口線資料が展示されている.近年,上屋が掛けられた.
(1999. 2.11調査)
修復・再塗装など整備された.(2001. 7.11)
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