岐阜県海津町は輪中と呼ばれる低湿地帯にあり,江戸時代中期から明治時代にかけて堀田が発達した.堀田とは,水田の一部を掘り,その土を積み上げて耕地とし,浸水に備えたものである.土を掘り出した跡は池や水路となり,舟を用いて物資や人を輸送した.しかし,埋め立てによる土地改良工事が1954(昭和29)年から1970(昭和45)年まで行われ,堀田は見られなくなった.
埋め立て工事の際,海津町南部では長良川や揖斐川を浚渫して土砂を供給したが,一方,同町北部では高須輪中北部の畑の土砂を軌道(軌間508mm)によって運搬した.この工事用軌道で使用されたディーゼル機関車のうち 2 両は,工事終了後,平田町の三川工業が預かる形で長らく保管されてきた.いずれも1959(昭和34)年12月に加藤製作所で製造されたもので,全長3.1m,重量4tの小型である.機関は,いすヾDA220(70PS).車両番号が付けられていたかどうかは不明である.
そのうちの 1 両(製造番号L46101)は引き続き三川工業にあるが,部品を保存車に供出したためか,ボンネットカバーが無くなっているなど,傷みは激しい.
なお,この工事を管轄した岐阜県開拓課は,その後,統合などが行われ,その名称の組織は現存しない.
(1998.10.25調査)
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