戦前の名古屋は有数の軍需都市であった.そのため,1941(昭和16)年 7月,市内交通における大量輸送を目的に,路面電車用としてはわが国初の連接車2600形が製造された.3000形はそれに続く形式の連接車で,1944(昭和19)年 3月に10両が木南車輌で製造された.車体は低床式.当初は所定の機器が確保できず流用品を使用したが,1950(昭和25)年以降に主電動機増強,制御器交換,さらに,前照灯移設,窓開閉方式変更などが行われた.しかし,路線縮小に伴い,1970(昭和45)年 3月までに全廃となった.
3003は浄心に配置後,沢上,高辻と移り,1950(昭和25)年に他の3000形全車と共に池下に配置.さらに,稲葉地,再び沢上,高辻と移り,1970(昭和45)年 3月に廃車.その後,名古屋市科学館にて保存されたが,同館増築に伴い1986(昭和61)年10月に日進工場へ移設,このたび保存館に収まった.
(2000. 6.10調査)
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